引きこもり時代に常に夢想していたもの。それはすべての終わりだった。
引きこもり生活だけでなくこの体、この心、そしてこの命。すべてが自分の意思などにかかわらずあっけなく終わりを迎えることに、大きな希望を持ちそれがおそらくかなわないだろうことに深い絶望を抱いていた。
何も生産性の無い一日を終え、布団に入り眠りにおちようとするその隙間から、じわりじわりと這い寄ってくる恐怖と絶望。心の内から自身を責め立てる自身の声。その言葉に心をえぐり取られ今すぐこの世から消え去りたい衝動に駆られる。しかしその願いは叶うこともない。かといって自分の手で自分に終わりを告げることもできない。そんな日々。
端的に言えば今すぐ大地震が起きて天井がつぶれてそのままお陀仏に、など周囲の迷惑なのからきし考えない自分本位の願いを毎晩祈るかのように求めていたなーと思うわけです。
今思うと人間は色々なものに押しつぶされても絶望するけど、何も持たないのもまた大きな絶望なんだよなってことを思う。
今の私はほどほどのものに囲まれほどほどに生きているけど、端から見れば持たざる者みたいに思われるのかもしれない。でもあの頃の自分を思い返すと、少なくとも毎日やることを持てているっていう今の現状は本当に救われてるなって思う。
これからもまずは小さな何かを見つけて、その小さなものを育てることを大切にしたいと思ったわけですはい。